corippo
コリッポの村

旅の間の会話は、文面の都合上、あたかも堪能に会話したかの如く書いておりますが、全て、単語の羅列、ハチャメチャ英語+ハチャメチャドイツ語+身振り手振り、であります。
聞き取りも、知ってる単語+想像 これでも、充分楽しい旅ができました。。はい。


2008年6月中旬 (服装=ノースリーブ・長ズボン・ウォーキングシュー)    

ソノーニョ9時発、ロカルノ行きのバスに乗る。
26分後、コリッポ入り口に到着。

ここでバスを降りたのは私一人。。

ここからヴェルザスカ川に下りてゆく車道を、
ゴロゴロを転がしながら、歩き始める。

橋を渡り終えてすぐ、左に登りの遊歩道。
←ここ。                       

これぞ
楽園への入り口だ


これは旧道で、そのまま車道を歩いて登っても
同じ所に出る。


右にラヴェルテッツオへの遊歩道があったが、
次回の楽しみに取っておくことにした。


旧道を、15分歩くと、先ほどの車道と合流。










    

















       


        





                   





合流した車道をちょっと歩くともうコリッポの家が。。
いよいよコリッポ村に入る。  

 シーンとして誰も居ない。


教会前の小さな広場が、この村のメイン。

さっそく、今夜の宿をまず、確保せねば・・・と、
教会の斜め前にあるホテル&グロット「オステリア」へ。

だが、しかし、なんと、

ドアがしまってて誰も居ない。

ホテルが朝 開いてないなんて

有り得ないでしょーが!

ここに泊まる気満々で来たのに・・・・

村を見て歩きたいけれど、荷物があるし・・・

と、困惑していると、


村人発見!

イタリア語圏だから英語はダメかもと思いつつも、
どうせ通じないんだからと
いつもよりも一層ハチャメチャな英語で尋ねる。

すいませ~ん、
このホテルは何時頃開きますか?



と、村人のオジサンは、以外にも英語で笑いながら

そこ、ホテルはやってないよ。
と言うではないか。

(おっと、おっちゃん、そんなはずは無いわ、

わたしゃインターネットで

ちゃんと調べたと。)

オジサンは親切になおも言う。

村に一軒だけ
個人で泊まらせてくれる家がある。
母子家庭だから女性しか泊めない。
そこに行くかね?


私は躊躇した。
もしかして、この人、民宿の客引き?
いや、いや、こんな所に客引きがいるわけが無い。

私としては、オステリアが本当に宿泊×なのか、
確かめてからでないと、
なんとも返事が出来ない。

そこへ、
(まるで、オペラのように、グッドタイミングで)
オステリアの主人らしい男性登場。
おお、往年のトニー・カーチス似!

早速「お宅のホテルに泊まりたい」と言うと
「ホテル」と言う言葉だけわかったようで

ノー ホテル。リストランテ、オンリー

ぐぅわ~~~ん
村でたった1軒のホテルがやってない!

いまさらぁ、どうしよーー

ん?そういえば・・・さっきのおじさん・・
民宿がどうのこうのって・・・)


で、振り向くと、そこにさっきのオジサンが
ニコニコと立っていた。

気を取り直して、

「あの・・・先程おっしゃっていた・・・
母子家庭の女性の家はどこでしょうか?」


心優しきオジサンは彼女の家に電話してくれたが、
留守電で夕方まで戻らないと言う事だった。。

私は夕方まで、待つ事にした。

すると、オジサンは、その間、村を案内してあげる
おっしゃってくださった。
(とたんに敬語)

トニーカーチス似ご主人の奥さんが
「このオジサンは、信用できる人だから、
安心していいわよ」
と言うし
レストランに来ていた村人が
「このオジサン、ほんとに気のいい人だよ」
と言うし

17人の村人全員グルで、
この貧乏そうな還暦過ぎたオバサンをだます、なんて事、
(「砂の女」じゃあるまいし・・・)
あるわけなかろうし、

しかも、、今は、まっ昼間

気をつけよう!知らない人と暗い道
にゃ、あてはまらぬ。

したがって、オジサンにガイドしてもらう事にした。




← ←村の石段をオジサンの後をついて上がっていると、

前から駆け下りてくる修学旅行生の一団とすれ違う。

先生らしき男性が、
時間が無いので急いでー!
とせかしている風だった。

スイスでは5、6月頃が修学旅行シーズンらしく
この旅の間、たくさんこういう生徒たちを見た。

すると、その生徒たちが「アア~~ッ~~!」と言って
私に手を振る!!

あ”~~~なんと!
3日前にロカルノへ向かう列車の中で
仲良くなった生徒たちだーーー!



この二人は私と同席で、
一人旅の私に
とてもとても親切にしてくれたのだ。

ナタリーとエリー
Natalie & Elly


バスの出発時間が迫っていたらしく

名前を聞くのが精一杯で、
住所なども聞けなかった。。。

もう、二度と戻らない
あの時間。
少女たちは日に日に大人になってゆくだろうけど
私の中では、写真と同じ、
あなた達は永遠に少女のまま。。。

一期一会 


いろいろな事があって、私はこのコリッポで

至福の数日を過ごす事になったのであった。

その経緯と内容を
ここに書き留めたいのは山々だが、
先様の希望と
私の都合で、
それは出来ない。


もちろん写真も掲載しない。


ただ、この日の夕暮れ時

コリッポ村のどこかで

私を含くめた5人は
庭先にテーブルとイスを出し
ワインを飲んでいたのだ。

その中の一人
この村の最長老は

裏の山の畑では、
野菜も作っていたが
わしらの子供も あそこで、作ったのさ
。」

と、私たちを大笑いさせた。

この幸せな時間と空間は
生涯の宝物になるだろうと、
私は、すでにその場で感じていたのだった。。



そして


同じ夏の終わりに

。。彼は逝ってしまった。。




嗚呼、一期一会
コリッポでのんびり咲いている幸せな花たち

Corippo è il mio paradiso.
Il cielo, le montagne, l'acqua, i villaggi e le persone.
Io amo l'intera Corippo..
          村はずれの 童話にでてくるような水車小屋
見上げれば、教会とオステリア。。

すぐ下に流れている川には

小さな滝もあり、涼しく、

散歩している人などがいた。



       
        
私が行った時は、村民17人だった。


2008年9月現在、16人になった。



あの最長老のおじいちゃんは、



村の入り口にある美しい花の墓地で

今日も、
コリッポ村を見守っている事だろう。



私の愛するコリッポよ。

その一木一草までもが愛おしい。






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