4月12日〜4月22日
岩さん&原さんのおじさん二人組の、
早春のスイス 行き当たりバッタリ10日間の旅日記
文: 岩さん=緑字 & 原さん=紫字
|

4月16日
インターラーケン → ブリエンツ |
|
(原) 浅野さん宅の朝食
3種類のパン・2種類のチーズ・ヨーグルト・コーヒー果物、美味しかった!
ツアー旅行のように時間が決まっていないので、
ゆったりと食事をとる。
|
|
(岩)16日は天気が良くないので、
ブリエンツに行った。
ここには、野外の歴史博物館がある。
昔の古い家が、風景とマッチしている。
古い家はなぜか懐かしい感じがする。
(原)5日目、天候が悪いので山の予定を変更して、
ブリエンツにあるバレンベルク野外博物館へ。
インターラーケンからブリエンツに向かう
列車を間違い1時間半のロス。
タイムテーブルを貰わなかったのが原因。
ブリエンツ湖の船旅も考えたが時間が遅くなるので、
結局列車でブリエンツに行き、ポストバスで
バレンベルク野外博物館に行くことにした。
|
Darligen駅
乗り間違いに気づき、すぐに下りたのだが、
急行列車が止まらない駅で、目の前を素通り。
1時間待たされた。。。。。
乗り間違えに気づいた時は
慌てて下車せず
比較的大きい駅で降りた方が
結果的に正解、なのだった。
(岩)
「急がない旅なので、こんな間違いも楽しめるよね…」と、気楽な旅をしています。
|
 |
(原)50万平方kmあるバレンベルク野外博物館。
広い園内に90棟の古い民家が
スイス各地から移築されている。
庭には豚や鶏などの家畜が放し飼いしてあり、
昔ながらに生活しているかのようだ。
パンを焼いてその場で販売していたり、
そのほかチーズ・ソーセージ屋さんなどもあって
買い集めてお昼に食事をすることができる。 |

|
(原)機織り小屋や水車小屋など見て回り、
有に3時間はかかります。
お昼は浅野さんが作ってくれた
おにぎりが大変おいしかった。
お米は4日間 口にしてなかったので、
うまい!
日本人には やはり梅入りのおにぎりですね・・・。
機織小屋では小物をお土産に買いました
|
|
(原)木彫りの町として200年の歴史がある
ブリエンツにある《ジョバンJobin》
日本人スタッフのあけみさんに
店内を案内してもらう。
工芸品展示室の入場料(5sf)は
浅野さんの紹介と言う事で無料でした。 |
 |
(原)神秘的な色をした水路や川が、
ブリエンツ湖とトゥーン湖を結んでいる。
←民宿の近く |

|
(原)花に囲まれた浅野さん宅で
日本語でお話が出来、なんとなくホッとした気分。
また、ユースホステルでは、シャワーのみでしたので
疲れが取れなかったが、
ここでは大きなバスタブでゆったりと、
庭の桜を見ながら
♪いい湯だなアハッいい湯だな〜
ここはインターラーケン浅野さんちの湯♪
幸せでした。
|
 |
(岩)2年くらい前に一度
食べたことのあるラクレットを食べました。
ジャガイモを溶かしたチーズに付けて食べるのですが、
美味しいんですよ。
このチーズを買って帰る予定です。
チーズホンデユより好きです。
|

4月17日 ツェルマット
インターラーケンヴェスト9:06発→ シュビエツ → ブリーク → ヴィスプ →ツエルマット11:14着 |
 |
(原)浅野さんの民宿を発ち、マッターホルンの麓
標高1631mの山中にあるツエルマットへ。
車中いつものようにスイスパスをみせたら、
初めてパスポートの提示を受ける。
渓谷を縫うように列車は登っていく。
昨日は雪だったのか、あたり一面銀世界に変わる。
|

 |
(原)ツエルマット駅から歩いて10分
日本語案内所へ行くが閉店。
(たとえ開いていたとしても、
安い宿は「自分で探してください」
と言われます。陰の声)
ガイドブックを頼りに宿探し、
最初のユースホステルは満室で断られ。。
2軒目で空き部屋あり、
4人部屋を二人使用で147SFr、
二日目はドミトリー2人80SFr、
日本円で一人2泊、1万500円なり。
食事無し。
とにかく宿がとれて一安心!
(岩)ホフと名がついたホテルは安いので、
まずタンネン・ホフにいってみるが満室。
ウッ!
もう一つのホフが空いていなかったら
どうしよう。。。
駅近くのバーンホフに行くと、運良く空いていた。
外国旅行していて、不安になるのは
泊まる所がないことが一番である。
アラスカで暗くなってきたのに、泊まる所がなくて
とても不安だったことを、昨日のことのように思い出す。団体旅行ではこんなことはまずないだろうが、
後から振りかえって見ると、いい思い出だ。
|
|
(原)ゴルナーグラート登山電車
野外に敷設された登山鉄道としては
ヨーロッパでは一番高いところまで上る鉄道。
料金はスイスパス割引50%で
34,5SFr(日本円でおよそ3,200円)
|
|
(原)マッターホルンの麓ツェルマットから45分
ゴルナーグラート駅に着く。
マッターホルンが真近に見られたが、
運悪く雲に隠れてしまった。
←クルムホテルのオープンカフェでくつろぐ
観光客やスキー客
|

|
ゴルナーグラート駅が 3089m
マッターホルンが 4478m
付近の村人達は
谷の奥にそびえるマッターホルンを
「魔の山」とよんで誰一人として
登ろうとはしなかった。
そのような状況の中、
今から145年前の1865年
英国人エドワード・ウィンパーが
8度目の挑戦で、初登頂成功。 |
 |
(岩)あいにく、ゴルナーグラードに着いた頃には、
マッターホルンには雲がかかってしまっていた
しかし、
ここの景色はマッターホルンだけではない。
アルプス第二の高峰モンテ・ローザ(4634m)が
見え、ゴルナー氷河も見ることができる。
ゴルナーグラードで、ゆっくりと時間をすごしている
と マッターホルンが再び見えてきた。
なんとも言えない美しい姿だ。
|
|
(原)気温−4度。
1時間余り待って、
雲が切れた所で記念撮影。 |
 |
(原)ホテルに戻って、
ビール付きの晩餐会(豪華じゃないけど)
今日は朝はどんよりした空模様だったが、
マッターホルンに登ったら快晴!!
気象予報士のツアーコンダクター付きの旅は最高だった。
マッターホルン・モンテローザ・ゴルナー氷河を見ることが出来感謝!感謝!である。
夜は4人部屋に二人。
熟睡しました。
(岩)夕食は原さんが、
持ってきていたインスタントのご飯。
今日マッターホルンを見ることができたこと、
ビールとご飯で、気分が盛り上がり、
ついでに明日はフランスのモンブランを
見に行こうという話がまとまった。
|

4月18日
シャモニー モンブラン
|
|
(岩)今日は、モンブランだ。
スイスの近くとはいえ、行ったことのないフランスに。列車の車内放送もフランス語になる。
「シシャモくで〜」「ジュトジュト二十」の世界である。
アイガーも、マッターホルンも見えたし、
これでモンブランが見えたら、冥土のみやげになる、
思い残すことはないと原さん。
そんな年でもないのに(笑)
|
|
(原)村の広場。
モンブラン初登頂のジャック・バルマと
初登頂に高額な賞金をかけたジュネーヴの博物学者
ホーラス・ソシュールの像
バルマの指差す先がモンブランの頂です
|
 |
(岩)シャモニー・モンブランの駅に着くと、
晴れている。
町には雑誌で見たように、
山を背景に食事をしている人たちがいる。 |
|
(岩)モンブランを含む山並みに、
たぶんあれだろうと思われるモンブランが見える。
ここからはこれ以上は望めない。
モンブランがはっきりと見えるところまで、
ケーブルカーで行きたかったが
帰るのが遅くなるので、あきらめた。
行きが4時間、帰りが5時間の旅だった。
|
 |
(岩)長い旅だったが、ゆっくりとした時間を過ごす、
列車には自転車を気軽に積んでいる。
これなら、自転車で遊びに行って、
帰りは列車で帰るというエコな遊び?を快適にできそう。 |
 |
(原)19日の夜はドミトリー8人部屋に3人でした。
夕食後談話室で犬養道子の「私のスイス」を読む。
若い人たちがサイコロゲームに興じていた。
22時半ベッドに入る。
|
|
|

4月19日
ツェルマット・ベルン・トゥーン散策 |

ネズミ返しの家 |
(岩)19日の早朝、雪が降っていたが、
しばらくすると止んだ。
朝食の後、ツェルマットの町を散歩する。
新しい家が多いが、古い家も多く残っている。
(原)ツェルマット村内は
空気汚染の原因となるガソリン車を規制し、
馬車と電気自動車が主な交通機関となっている。
(岩)散歩をしていると、正装をしている人たちがいる。
日曜日なので、教会に行く人たちだ。
スイスの女性は民族衣装を着ているので、
とても目立つ。
なかなか見ることのできないシーンを見ることができた。
男性も正装している。
日曜日は教会に行く大切な日なのだろうか。
見ていると、楽しそうに話しながら、歩いているので、コミュニケーションの日なのかな。
|
|
|
(岩)空には雲がかかっていたので、
マッターホルンは望めない。
そこで、首都ベルンに行くことにする。
期待はしていなかったが、来てよかった。
古都の町並みがとてもいい。
過去の英雄、伝説の人たちの像が建っている。
(原)
ベルン中央駅からシュピタル通り、
マルクト通り、クラム通りには11の噴水が点在し、
世界で最も魅力的な交通障害物とも言われている。
|

洒落た店が並ぶ回廊式アーケード
正面が時計塔。 |
(原)
塔に時計が掛けられたのは1530年、
今から480年前と同じに時を刻んでいる。
時報の4分前に鶏が鳴き 小熊の行進が現れる
時報を告げるのは塔の上部にいる人形たち。
スイスの首都、ベルン。
アーレ川に囲まれた町で市街の3分の1を森林などの緑がおおっているほど豊かな自然に恵まれている。
この日、ベルン駅着いて、
駅構内の荷物預かり所を探していたら、
若者が寄ってきて道案内してくれた。
本当に親切な方が多いような気がする。
|
|
(岩)アインシュタインが若い時にベルンに住んでいて、ここで大きな成果をあげたと言われている。
アインシュタインの住んでいたアパートを見に行った。
(原)アインシュタイン・ハウス 入館料4.5SF
新婚間もない1年8ヶ月(1903年10月〜)、
ベルンのアパートに住み、その頃かの有名な
相対性理論が生み出された。 |
 |
(岩)ベルンからインターラーケン途中に、
トゥーンに寄り
、原さんがとても興味を持っていた古い城を見る。
今回は、
列車もバスも船も自由に乗れるスイスパスを
使っての旅行だったが、
このような観光名所の城をみたりするのや、
登山鉄道に乗ったりするのも、
無料や半額になるので、とても助かった。
(原)歴史博物館や美術館などゆっくり見学できず
2時間半でベルンを発ち、トゥーン湖へ。
船はすでに出港していた。
このあと、重い荷物を引きながらトゥーン城を見学して
インターラーケンの浅野B&Bに帰った。
|
 |
(岩)夜は浅野B&Bで、
チューリッヒ・ゲシュネッツェルテスをいただく。
美味しかったあ〜。
ワインも飲んで、いい気分。
(原)
トゥーン駅発16:54の列車で、
インターラーケンまで帰り、浅野さん宅でお風呂を
いただき、旅の疲れをとる。
午後8時からスイスケーブルテレビの日本語放送で、
NHKの大河ドラマ「天地人」を皆で見る。
まさか、「天地人」をスイスで見るとは・・!
|

4月20日
インターラーケン→チューリヒ
|
 |
(岩)Aさん宅をよくみると、お隣とくっ付いている。
不思議に思って聞くと、こちらでは、
これが一般的らしい。
庭の池も半分づつである。面白い。 |
|
(原)昨夜は浅野さんの美味しいスイス料理で、
ワインを飲み過ぎました。お腹の調子がいまひとつ
朝食前に1時間、周辺を散策する。
湖と湖を結ぶ水路、森に囲まれた村、
庭に飛んでくる小鳥たち・・・。
1年でもゆっくりと滞在したら、
心も豊かになれる・・きっと!
スイスのトリコになりました♪
|

 |
(原)インターラーケンWest駅10:36発→ベルン経由→
チューリヒ中央駅12:28着
駅前からトラムと呼ばれる路面電車で予約した「ホテルNEUFELD」に
行きたいのだが、岩さんの英語力でも通じず悪戦苦闘した末、
やっとのことホテルに着く。
荷物を置き、「セクセロイテン祭」の前に腹ごしらえをして、
バーンホフ通り、フラウミュンスター(聖母聖堂)など見学。
(岩)
20日はチューリッヒで雪追い祭リの
「ゼクセロイテン」。
雪だるまの人形を燃やして
、その年の夏の気候を占うそうだ。
この雪だるまを燃やすのは見なかったが、
夕方のニュースで生中継をやっていた
 |
 |
(岩)見事だったのは、パレードの多さである。
次々とやってくるパレードの人たちを、
必死に写真に納めた。
|
 |
(岩)
ワインも産地なので、ワインを持って、
沿道の人へのワインのふるまいもありました。
私は、ワインはもらい損ねましたが、
このあと
フランクフルトソーセージはもらうことができました。
ワインをもらっておけば、ソーセージをかじりながら、ワインを飲めたのに!
|

警官 ハイジのような少女
(原)ギルド商人に扮装した人々がゼクセロイテン広場までパレードする。
爆竹を仕込んだ雪だるまに火をつけて春の到来を祝うお祭り。
宮崎神宮大祭のパレードみたいなお祭りです。
通りの両端に指定席の長椅子が2列設置してある。
騎馬隊・鼓笛隊・沿道の人たちにワインを振舞う男等等
パレードに参加している団体の多いのにびっくり!
特に花が印象的であった。綺麗なお嬢さんたちも・・・・。
夜はホテルの近くの中華料理店でチャーハンを買い、
ビールを飲みながらの夕食。
湯船は付いてないので、シャワーで汗を流し、9時半就寝。
|

4月21日 リヒテンシュタイン |
|
(岩)21日はリヒテンシュタインという国に行きました。
そんな国があるとは知りませんでしたが、
スイスに隣接している小さな国で、
人口3万5千人ほどの小さな国です。
切手の国として有名らしいです。
|
 |
(原)リヒテンシュタイン公国の首都はファドーツ。
ライン河に程近い平地に開けた落ち着いたたたずまいの町。
記念に3スイスフランを払って
入国スタンプを押してもらったが
料金が要るのは世界中でここだけでしょう。 |
|
(岩)裕福な国なのだろうか?
便器がステンレスだった。
リヒテンシュタインは切手で有名です。 子どもの頃は切手を集めていたのに、知らなかったなあ
。
|

チューリヒ中央駅 |
(原)中央駅の土産屋でアーミーナイフや小物を、
COOPでチーズや飴玉などを購入。
駅でトイレを探すが公衆トイレは無く
有料トイレの料金
大が2SFr、小は1SFrでした。
スイス最後の夜も、
肉炒めごはん、野菜サラダ、それとビールで、
質素な夕食。。。
食後、明日の帰国支度をして、
23時就寝。
|
4月22日 チューリヒクローテン空港→成田 |
 |
(原)帰国の朝、8時半にホテルをチェックアウト、
チェックイン、荷物を預け、税関、
パスポート提示をして搭乗口へ、
ここで手荷物を検査され、マグカップの中に小物を入れていたので、全てをテーブルに出して検査をうける。
出発までお土産を買ったりして時間を過す。
13時18分 離陸
|
 |
(岩)22日は午後1時発で、日本へ。
機内食は日本食もあったが、
すぐに日本食は食べることができるからと思い、
パスタにした。
でも、日本に着いたら、すぐにご飯が食べたい。
スイスから日本までは12時間。
成田着は23日の午前8時でした。
|
財務担当(原)
※ 旅行費用 ※ パスポート、土産代を除く
交通費 172,000円
宮崎〜東京宿泊パック 38,800
成田〜チューリヒ往復 79,130
スイスパス 37,500
登山鉄道 12,750
国内電車 3,820
宿泊費(10泊) 52,000円
食事代 16,000円
保険・雑費 10,000円
携帯電話レンタル料 10,000円
合 計 260,000円
|
8時00分 成田空港着
8時50分 羽田発、
20時45分 宮崎空港
(原)家に帰って、焼き魚がおいしかった、
11時ベッドに横になるが
3時になっても目はランラン
時差ボケが解け、
リズムが戻るのに1週間かかりました。
私共のスイス旅日記を
最後までお読みいただきまして有難うございます。
岩倉・原田
|
旅で出会った人たち |

|
 |